テコンドーで末期癌を治す宗教の話

テコンドーを布教する新興宗教「テコンドーマコト教」は、運営する施設で末期のがん患者たちを受け入れていた。その秘密を探るため、雑誌記者は施設を取材に訪れる。


 

人間関係のいざこざで新聞社を退職し、コンビニに置いてある週刊誌の記者を務めていた俺のもとに興味深いニュースが届いた。

数年前から東京都内でテコンドーを布教する宗教「テコンドーマコト教」が活動を始め、その宗教団体が運営する福祉施設では末期のがん患者の入居希望者を受け入れているというのだ。

テコンドーとがん治療とは面白い組み合わせだと思った俺はテコンドーマコト教が保有する施設の一つに取材を申し込み、2月上旬の肌寒い日に雑誌記者として老人ホームを訪れていた。

「あなたが週刊文衆の記者ですね。ようこそいらっしゃいました、本日は我らがテコンドーマコト教の教義や社会貢献活動について存分にご取材頂ければ幸いです」

「こちらこそこの度は取材を許可して頂きありがとうございます。記事にする前には必ず原稿をお見せしますね」

真っ白な装束を着た教団の幹部にして施設経営者を務める男性は俺を施設の中へと案内し、アクリルの窓から見える部屋の中では末期のがん患者らしき痩せこけた老人たちが昼食を口にしていた。

「こちらの教団は自由診療を布教されているということですが、入居者のお年寄りも餅を召し上がっているのですか? どうにも危ないような気がしますが……」

「ご安心ください、確かにテコンドーマコト教の教義では信徒は三食必ず餅を食すことになっていますが、ここはれっきとしたがん治療専門の医療施設ですから、給食の餅は喉に詰まらないサイズにカットしています。この施設は今年で運営4年目になりますが、それまで給食で誤嚥や窒息を起こした入居者は一人もいないのですよ」

「なるほど、よく考えられているのですね。部外者の勘繰りで失礼しました」

患者たちの給食のトレーには主食として餅、汁として雑煮らしきものが置かれていたが確かにいずれも餅は小さくカットされており、近くには複数名の看護師や介護士が控えているため万が一の事態にも対処できるようだった。

教団幹部は俺にも入居者と同じ給食を振る舞い、思ったよりも上等な味に感心しつつそれを食べ終えた俺は午後からの自由診療の見学へと案内された。

「いやー! ふぉー!!」

「鈴木さん、お上手ですよ! がん細胞も鈴木さんのテコンドーに恐れをなして退散していきます!!さあ、佐藤さんも!トルリョチャギ!(回し蹴り)」

「まだまだがん細胞には負けませんよ、さあどうぞ!」

手術室を模した運動場では車椅子に乗った男性の入居者が弱々しくを振り上げてテコンドーの仕草をまね、女性の入居者はそれに応じて技をかわす素ぶりを見せていた。

近くでは女性の介護士がその様子を見守りつつ声援を送っており、テコンドーを崇拝する宗教だけあってがん治療にもテコンドーを応用しているようだった。

「見事な光景でしょう? 最初はテコンドーを知らずに入居する方もいらっしゃるものですから、補助具を使ったりやトレーナーさんなどに手伝ってもらったりしてテコンドーにまつわる教義と基礎を叩き込むわけです。そのテコンドーの極意を体得すればがんは自ずと消えてゆくのですから。」

「なるほど、よく考えられていますね。これで心安らかになるなら末期のがん患者の拠り所となるのも頷けます。」

まだテコンドーががん治療に結びつくことには理解できていないが、この施設は予想していたよりもちゃんとがん患者たちのことを考えており、これなら入居者が絶えない理由も分かると思われた。

「さて、そろそろ祭典の時間です。大川さん、実は取材日を今日に指定させて頂いたのは、ちょうど教祖様がこの施設を訪れて祭典をとり行われるからなのです。最後にそちらを見学していって頂けませんか?」

「ここまで見せて頂いた以上、もちろん見学させて頂きますよ。教祖の方にお会いするのも楽しみです」

教団幹部はそう言うと少し待ってから俺を施設内のホールに通し、学校の講堂のような作りのそこでは壇上にいる教祖らしき中年男性が演説を行っていた。

「がんと診断されたら放置するのが一番です。崔泓熙(チェ・ホンヒ)は仰いました。この世にテコンドーあれ、平和のためにテコンドーをしろ。最後の審判では神は人間たちにテコンドーをさせ、テコンドーを習得したもののみを救うのです。その教えが世界中に広まれば、この世から戦争や犯罪は根絶されるでしょう。その第一歩として、私は皆様に半万年の歴史を持つテコンドーの恵みを配ります。そーれ、さあ、どうぞ」

 教祖はそう言うと手元のかごに入っていたパック入りの餅をホールに集まって座っている入居者たちへと投げつけ、老人たちは投げられたそれを我が先にと拾い集める。

 パック入りの餅はそのまま食べられる程度に調理されているようだが、驚いたことにその餅はカットされていなかった。

「私だ、私がテコンドーのお恵みを頂くんだ!」

「これは私のものです! これを食べれば、もう誰にも邪魔ものにされないの!!」

「やった、捕まえたぞ! 食べる、食べるんだ、ん、ぐ、がああああ……」

男性の入居者は右手でパック入りの餅を受け止めると包装を破いて口に放り込み、咀嚼を始めて間もなく餅を喉に詰まらせた。

 周囲の入居者たちはその様子を意にも介さず自らも餅を食べようと教祖が投げつけるパック入りの餅に殺到し、その間にも次々と入居者は餅を喉に詰まらせていく。

 隣にいる教団幹部は満面の笑みでその様子を眺め、教祖はそーれ、そーれと唱えつつパック入りの餅を配り続ける。

その異様な状況に、俺は完全に硬直していた。


「これはどういうことですか!? 目の前で入居者の方が餅を喉に詰まらせていますよ!!」

「ええ、その通りです。教祖様の配るテコンドーのお恵みを喉に詰まらせて死ぬことは私たちにとって至上の名誉なのですよ」

「一体何を言っているんです、あなた方はどうかしています!」

 目の前で繰り広げられている惨事に俺はポケットからスマホを取り出したが、その瞬間に教団幹部の表情が一変した。

「やめなさい、私たちの祭典を妨害する気ですか!!ここで電話などさせませんよ!!!」

「ふざけないでください、目の前で人が死にかけているんですよ!?」

俺は目の前にいたがん患者が急いで餅を飲み込もうとするのを必死に防ごうと、餅を取り上げようとした。

「何をするんですか!この祭典に参加するために私は全財産を使い果たしたんですよ!その餅にはこれまでのお布施代4000万円を支払ってやっと手にいれた餅なんです!!」

俺はその金額の大きさと、患者の狂気じみた面相で睨まれたのでたじろいだ。その隙に教団幹部が俺の体を押さえこんできた。

「何をしているんです、部外者の方が好き勝手するのは許しませんよ!迷惑をかけるなら立ち退きを命じます!!」

 教団幹部の大声を聞いて近くにいた男性介護士たちが走り寄ってきて、餅を喉に詰まらせて死んでいく老人たちのうめき声を聞きながら、俺は施設の外へと追い出された。

 この施設は狂っている、なぜこんなことがまかり通っているのかと思いながら、俺はその足で最寄りの交番を訪ねた。

「……という恐るべき光景を私は見たのです。疑うというのなら今すぐその施設に立ち入り調査を行ってください!」

「ああ、テコンドーマコト教のことなら私どもも存じ上げていますよ。あそこはね、ちょっと厄介なんです。まあ信教の自由は誰にでもありますし、それを公権力が侵害することはできませんから、今回は民事不介入とさせてください」

「お巡りさんまで何を言っているんですか!? 人が殺されているんですよ!?」

 必死で訴えたが交番の巡査はまともに取り合わず、帰宅後に110番通報をして同じことを警察に訴えても結果は同じだった。

おかしい、あの施設には何かあると思った俺は今日見た光景を会社の上司に直接は伝えず、特ダネを拾える可能性があるためテコンドーマコト教の施設にボランティアとして長期潜入取材を行いたいと提案した。

上司は俺の意向を受け入れて勤務時間中の潜入調査を認め、俺は1か月後にテコンドーマコト教の別の施設を訪問してボランティアとして働きたいと申し出た。

俺はその日からテコンドーマコト教のボランティア職員となり、患者たちの介護に励みつつ施設の中で徐々に地位を向上させていった。

テコンドーマコト教の真相に迫るため、俺は目的を決して悟られることなくテコンドーマコト教の一員として働き続けた。

そして、その間にも教祖による祭典は1か月に1度行われ、その度に何人もの入居者が餅を喉に詰まらせて死んでいった。


「これだ……この書類に、全てが書いてあるんだ」

テコンドーマコト教の医療施設にボランティア職員として潜入してから3年が経ち、施設の準職員という立場を与えられた俺はある日教団幹部の目を盗んで施設の倉庫へと侵入していた。

 そこには大量の書類の山に隠れて不自然に整った封筒が置かれており、その封筒の中には厚生労働省の署名が入った文書が隠されていた。

>日本の輝かしい未来のために

>テコンドーマコト教の皆さん、いつも末期がん患者の方々の幸せのために活動を行ってくださりありがとうございます。

>皆さんの社会貢献活動の結果、今年度は約6000億円もの社会保障予算が削減され、納めていただいた税金で高額医療費を賄うことができました。

>このまま日本中にテコンドーマコト教の施設が建設されていけば、いずれはより多くの予算を節約できるでしょう。

>がん患者を受け入れる皆さんの活動を支援するため、私たちは支援を惜しみません。

テコンドーマコト教の背後には、国家がいた。

日本国は高齢化社会により増え続ける社会保障予算を削減するため、テコンドーマコト教に経済的支援を行って末期のがん患者たちを入居させ、祭典で窒息死するよう仕向けていたのだ。

 警察が俺の訴えを取り合わなかったのも、国家の策謀だと考えれば説明がつく。

 俺はその文書を懐に隠すとそのまま施設から走り出し、その足で現在も籍を置いている雑誌社に飛び込んだ。

 上司に入手した文書を見せ、俺は特ダネをつかんだ旨を冷静に説明した。

「……という訳で、テコンドーマコト教の背後には国家の姿があったのです。このスクープを今すぐ市民へと発信し、日本という国家の横暴を世に知らしめましょう」

「ああ、その程度のことは私も知っていた。それに、この国の横暴を世に知らしめたところで、結局どうなるというんだ。テコンドーマコト教のおかげで浮いた6000億円と高額医療費、君が払えるとでもいうのかね?」

「はいっ? それは一体、どういうことですか……?」

「この国には社会保障制度というのがある。憲法で定められた生きる権利を賄うために医療費として賄われたのはおよそ12兆円だ。日本国民であれば、原則医療費負担は1~3割でいい。それに、高額医療費制度と言ってな、たとえば、免疫療法という治療は高額で、年4000万円かかる場合もあるそうなんだが、月8万円まででいいんだ。他は全部国が賄うんだ。テコンドーマコト教は治療をやめたがん患者たちに拠り所を提供する代わりに、大金のお布施をもらい、国と分配しているんだろう。」

俺は上司の口から出たとんでもない内容に面食らって、少したじろいだが、ここにはとんでもない矛盾が存在することに気づき、俺の中の正義漢が沸々と湧き上がった。

「人を救うために人を殺すなんて、、それじゃあまるで、本末転倒じゃないか!」

「あのなあ、トロッコ問題って知ってるか?それと、君がいない間にうちも経営が厳しくなってきてね。もう君の席はないからその話を続けたいのならよそでやってくれないか。」

上司はそう言うと俺の座席を撤去するよう他の社員に命じ、その瞬間に俺は無職の男になった。


雑誌社をクビになってから20年が経ち、俺は要介護認定2になっていた。

俺はあれからもテコンドーマコト教の非道を街頭で訴え続けたが、俺の言葉に耳を貸す市民は一人もおらず、警備員のアルバイトを続けるうちに俺もテコンドーマコト教のことを次第に忘れていった。

日本における老人の死因の一位は窒息死となり、高齢者が次々にテコンドーマコト教の施設からこの世を去っていく中で、日本国の収支はついに黒字へと転じた。

 3割以上も削減された社会保障予算のおかげで教育予算や安全保障予算は充実し、街頭を歩く若者たちの目にも活気が蘇ってきたように見えた。

そして年になった俺は、警備員アルバイトの定年退職を翌年に控えた矢先、長年の不摂生な生活が祟って、膵臓がんや糖尿病や脂肪肝など、あらゆる病気を抱え、車椅子生活を送らざるを得なくなった。

治療を受けながらの自宅での生活には不自由し、身よりもない俺はお金だけを溜め込んで毎日孤独に過ごしていた。

週に2回行くデイサービスで自分の汚物を処理してもらいながら情けなく思っていた。

 そんなある日……

「大川さん、ちょっと話があるんだけど」

「何だい?今日もすまないね」

いつも自分の介護で世話になっている介護士が、ベッドに横たわっている俺の枕元にぴしゃりとパンフレットを置いた。

「近くにあるテコンドーマコト教の施設に空きができたらしいんだけど、明日から入居してくれない? 私たちがやるより、ずっといい介護をしてくれるよ。幸せにこの世を旅立てるんだって」

笑顔を浮かべて言った介護士に、俺は何を答えることもできなかった。

(終)

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