私が幸せになる方法

自作小説

「ねね、美保。出席確認おわったら抜けようよ。」

大学四年生になりそれなりにサボり方を心得てきた私は、遠目越しの明日香のジェスチャーの提案に乗った。私と美保は大学でも一番仲が良く、お互いのことをよく理解できる仲だった。

今みたいなちょうどお昼時に抜け出したら、二人で行きつけのファミレスでランチをとりながら、課題などを終わらせるのだ。とは言っても、結局はおしゃべりばかりで終わるのが日常だった。

「明日香、この後のパワポの発表できた?ちょっと見せてくれない?」

「うん、でもそのままパクらないでね、バレると厄介だから。」

iPadを開きつつ、power Pointで課題を開く。いつもながら明日香の課題の出来はよく、丁寧な仕事ぶりに友人としていつも感心させられる。

iPadを開きながらメニューの注文をする。私は無意識にカロリーの数字を追っていた。パスタは美味しそうだけど600kcal越え、ハンバーグセットなんて論外。結局、低カロリーなサラダチキンのシーザーサラダと、ドリンクバーにすることにした。——明日の朝、体重計の上で後悔するよりはマシ。

「え、少なくない?私、ハンバーグセットにする!」

メニューを選ぶのに時間のかかった私と違って、明日香は早々とメニューを決め、店員の呼び鈴を押した。

「明日香はいいよねー、かわいいし、そんなに食べても太らないんだもん、」

「もうやめてよー、美保だってかんばって痩せてるの知ってるよ、勇作くんのためなんだよね。美保のそういう努力するところもポイント高いよ。」

勇作は、私の彼氏だ。同じ学年で同じサークルに入り、出会った。体はガリガリだが、奨学金を借りて大学に入学した苦労人で、一緒に試験対策をするうちに仲良くなり、難しい試験内容なども一緒乗り越えてくれた。そんな優しさに惹かれ、大学二年の頃に付き合った。

表向きはそういうことにしているのだが、本当は彼氏がいるというステータスが欲しかったのだ。顔もイケメンというほどではないが、ほど良い塩顔で、彼氏がいる女友達たちとの会話も、勇作のおかげで仲間外れにされずに済むというのが本音だ。

サラダチキンとハンバーグセットが運ばれてきた。ハンバーグのもっちりとボリューミーな見た目と食欲をそそる肉汁の匂いが、私の痩せようとする努力を試しているようだった。

「話変わるけどさ、あたしのお姉ちゃん、彼氏と婚約したみたい」

「えー、そうなんだ。お姉ちゃん何歳だっけ」

「今26歳で、相手は同じ小学校の人なんだって。同窓会で出会って仲良くなったんだって。」

「へー、婚約かあ、で、プロポーズはどんな感じだったの?」

プロポーズはね、と明日香は身を乗り出して話し始めた。明日香は韓流ドラマの恋愛ものが大好物で、誰かの恋バナが始まると、まるで自分のことのように目を輝かせる。

私は、そんな明日香の話を半分聞きながら勇作のことを考えていた。自分のキャリアや出産などのライフイベントを考えると、28までには結婚したい。勇作は優しく、P&Gでマーケティングをやりたい夢があり、生協で小難しそうな本を買ってきては美保に本の話をしてくれた。とはいえ、奨学金のローンの返済だってあるし、そう思い通りに行くとは限らないだろう。

「美保〜、聞いてる?」

「うえ、ごめんごめん、えっと、、」

「卒業してからいい出会いがあったって話。大学だとやっぱり関係狭いからねー、社会人になったら、自分のお金でいろんなことできるし、一気に交友関係が広がるらしいよ。同窓会とか、意外なところで縁がつながることも多いし。あっ、でも美保には勇作くんがいるし、関係ない話だったね!」

「あはは、まあね…」と適当に相槌を打ち、お会計を済ませた。

クーラーの効いた室内から一歩外に出ると、5月の強烈な直射日光が降り注いだ。その瞬間、何か忘れ物をしたような気がして、突然不安になった。

5月には内定をもらう友達もちらほら出始めた。大学に残って院に進むと決めて入試に備える同級生もいた。私は就職をするつもりなので、就活が本格化し、学校にもあまり用はないため、同級生や勇作と過ごす時間は以前より減った。

これまで5社の不採用を抱えてしまった美保には、勇作との時間よりも自分のことで頭がいっぱいだった。就活は、自分の働き口を求めて会社にアピールする、人生の一番大きなイベントだ。学生はポーカーフェイスを使って面接官に媚びへつらい、思ってもいないようなことを言ってなんとか乗り切る。

今日は最終選考まで残った、ベンチャー企業の集団面接だ。リクルートスーツを着て、鏡の前で笑顔を作ってみたが、緊張でガチガチだったため、マスクをつけて面接会場に向かうことにした。

面接室にはテーブルと椅子が2つあり、面接官は四人いた。もう一人の就活生の賢そうな見た目に、完全に萎縮してしまいそうだ。だが何度か修羅場を終えた美保にとって、ここも戦場の一つに過ぎない。深呼吸をして背筋を伸ばし、面接官たちを見据えながら、美保は静かに覚悟を決めた。

「では、お題です。あなたは10円玉の大きさに縮められて、ミキサーの中に入れられました。もとの密度を保ったまま、あなたの質量は小さくなります。ミキサーの刃はあと60秒で動き出します。さて、どうする?」

美保は自分の耳を疑った。一瞬、明らかにイレギュラーな内容に、何かの聞き間違いかと思った。しかし、面接官の真剣な眼差しと静まり返った空気がそれが現実の質問であることを告げていた。美保の心臓は高まり、手には手汗が滲む。膝の上で組んだ手足を小さく握りしめた。

「え、えっと…」美保は喉を詰まらせながらなんとか声を絞り出した。「私でしたら…ミキサーのガラスの内側に張り付くと思います。それから…手足を使って、よじ登ると…思います。」

声に自信がない。何か言わなければという重圧が、そして、それによって自分は評価されるのだという現実が、慎重な美保の性格には、とことん相性が悪かった。

「はい、ありがとうございます。」主任らしき面接官が事務的に告げる。手応えの有無を感じさせない口調に、美保はまだ落ち着くことが出来なかった。

次は隣の就活生の番だ。カラカラになった喉を潤しながら、隣の聡明そうな就活生の発言に耳を向けた。

彼は一つ息を整えると、ハキハキとした口調で話し始めた。

「10円玉に体が縮むということは、大雑把に言って、 体が100分の1に縮むことと仮定します。」静かに自信に満ちた声だった。この時点ですでに、美保の考えていた回答とは根本的に違うことは容易に想像できた。

「この場合、もし体の密度がそのままなら縦×横×高さが全て100分の1になることから、体重は100³分の1になります。ただし、その体重に対して、筋肉の力は足や腕の断面積に比例することから、100²分の1で済みます。つまり、この問題の条件下では、体が縮んだ時、縮む前の100倍の筋肉量があることになります。」

澱みない理路整然とした説明に、美保は息を呑んだ。想像もしていなかった物理的な100³分の1や100²分の1といった回答が、美保の耳に鮮明に飛び込んできた。

「だからジャンプして飛び出し、脱出いたします。」隣の就活生は、笑みすら浮かべてそう答えた。美保は、自分との回答の差に、焦燥と劣等感が込み上げてきた。

面接を終え、帰る支度ができると、隣の就活生が一緒にご飯に行かないかと声をかけてきた。いわゆるナンパの類だが、就活に関する情報も欲しいことだし、話に乗ることにした。

就活生の名は坂巻といい、京都大学の理学部の4回生で、現在は有機化学を使って食品添加物の研究をしているらしい。坂巻の話は美保の日常の範疇を超え、専門性が高かった。

「どんな商品でも賞味期限があるからね。酸化作用、つまり食品の老いを遅らせるのが僕らの研究だね。」

商品。賞味期限。坂巻のこの単語を聞いて、美保の胸の中で何かがざわつくのを感じた。美保の就活生としての価値、新卒ブランド、若さ、大学、親から引き継がれた美貌——これらは今の自分の「商品」としての価値をわかりやすく感じさせた。そして、これらには例外なく期限がある。数年後、社会に出て経験を積めば、通用するものではなくなる——

「例外もあるよ。賞味期限がないのはね、アイスクリームなんだ。」

「——アイスクリームはいつまでも美味しいってこと?」

美保は無意識に聞き返した。坂巻は言葉を選びつつ話を続けた。

「マイナス18度以下で保存されていればね。例えば、ジェラート屋ではアイスの温度はマイナス20以下に設定されていることが多いんだ。適切な条件を整えてやれば長持ちするんだよね。」

美保にとってその言葉は、遠回しに何か示唆しているかのように聞こえた。

賞味期限だって、適切な環境下にいればその価値を長く保てる。若さに頼らず、自分の価値を保ち続けるため環境を適切にするにはどうしたらいいのだろう。そんなことを考えながら、店を後にすることにした。

6月になって内定もようやく決まった。

この日は勇作との記念日で、ずいぶん背伸びしていいレストランにディナーを食べに行くことになっていたが、勇作は就活にずいぶん苦労していた。

憧れのP&Gは秒速で落ちて、その次の憧れの博報堂も落ちて、7月になっても受け入れてくれる企業を探していた。

それでも勇作は、諦めることはしなかった。

採用面接の際に「努力した経験はあるか」と聞かれて、「自己研鑽です」と答えたそうだ。実際、勇作はおそろしく真面目だった。受験の頃は、毎日毎日、閉館時間まで図書館に篭り、すごい量の文献を読んだらしい。

成果が努力の量と効率性の掛け算だとしたら、彼は努力の天才だった。宇宙望遠鏡的な努力に、電子顕微鏡的な効率性を掛け合わせて、彼はどうにか入試を突破したらしかった。

むちゃくちゃだが、否定しずらいほどの熱量を持った無駄な努力を重ねてここまで積み上げてきたのだ。

勇作は美保の就職をお祝いしてくれ、花束も高めの万年筆もプレゼントしてくれた。百貨店で悩みに悩んで、最終的に声をかけられた店員さんに決めてもらったらしい。この万年筆を買うため、就活の合間にバイトを多めに入れてもらったのだそうだ。

ナチュラルなセンターパートにユニクロで揃えたであろう青いニットとグレーのパンツ。御堂筋あたりの感度高そうな顔してる人が履いてるようなニューバランスの黒いスニーカー。美保との特別な日を祝うために、勇作がファッション系YouTuberを参考に揃えたであろうファッション。

美保の目に映るその全てが、「正解」を探す勇作の積み重ねの結果だった。

9月になり、まだ夏が夏のままで止まっているような頃、美保は高校生の頃同級生だった彩乃と現状報告がてらイタリアンでランチをとっていた。

「結婚て、どう考えてる?」と美保は言った。

「どうって?」彩乃は聞き返した。

「彼氏くんとはどうなの?」と美保は言った。さっきまで就活の愚痴や同級生との話をしていたが、パスタを食べながらふさわしい話題になった。

彩乃は顔を上げず、ジェノベーゼの皿と自分のフォークの先を見たまま、「どうなのかな」と言った。

「だって、付き合ってるんでしょ?」

「付き合ってるけどさ、結婚相手としてどうなのかって考えたら、”どうなのかな”としか思えない」

「どうして?」

「だって私の中にさ、彼と結婚したいって気がないもの」

彩乃はまろやかなパスタを一本、チュルチュルと吸い込んだ。

「いい人だと思うし、付き合ってて楽しいと思うけど、結婚って、それだけじゃないじゃない。結婚して彼だけになった時、彼に満足していられるかわからないじゃない」

彩乃はジェノベーゼをフォークに巻こうとして、うまくいかず、途中で解けたパスタが皿の上にゆっくり落ちて行くのをながめていた。

また少し巻いてみるけれど、思うような形にならず、彩乃は結局そのまま口に運ぶ。

「言いたいことはあるんだけど、なんていうか、高望み女になっちゃう気がしてさ、どう思う?私と彼氏くんって、合ってる?」

スプーンとフォークを置いた彩乃が言った。

「合ってる?」と彩乃に聞かれて、美保は「あなた次第じゃないの?」と答えるしかなかった。

それから美保は、勇作がご飯に誘ってきてもバイトで忙しいを言い訳に行かなくなり、ラインの返信もなるべくしないようにして、大学でも極力勇作を避けた。

勇作も、初めは美保を気遣ったラインが多かったが、だんだん短い挨拶程度になった。

「俺たち、もう別れないか」「うん」

冷え切ったカップラーメンを食べながら美保が返事したのが最後だった。

「後悔すると思う」「もう一度会って話さないか?」吹き出すマンホールのような彼のLINEをあっさりブロックした。

4月になり、入社式も終えた美保は、スマホに留守電があるのに気づいた。勇作からだ。

「恥ずかしいんで、留守電にします。謝りたいんです。

私はあなたという女性を、勘違いしていました。

僕はあなたを喜ばせたい一心で、尽くしてきたつもりです。

いつまで経っても既読しなかったのは、それなりに残念でしたけど。

思えば、僕は頑張ることに逃げていたような気がします。何かに理由をつけて、自分のかわいい自尊心に傷がつかないようにしてきたんだと思います。

がんばることで、正解を見つけることで、あなたを喜ばせられると思っていたんです。

振られたおかげで気づけました。男は馬鹿ですから。

振ってくれたことに今では感謝しています。

恥ずかしいから折り返しは不要です。今日、大阪では桜が咲きました。あなたも、どうかお元気で。」

今日は快晴だ。新しく引っ越した先で見つけた、かわいいお店でお気に入りのスイーツを頼むのが今の私のお気に入りだ。今日はジェラートを頼もう。自分へのご褒美に。

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