一人で行きました。何年か前の話です。
「何もしたくないし、とりあえずインド行くか〜」みたいな軽いノリでインド行きを決めました。

行き先はインドのコルカタという物凄く貧しい町で、マザーテレサの活動拠点があった場所です。
うちの高校の時の宗教の先生が、卒業したら一度行ってみてほしい的なこと言ってたのがきっかけです。律儀に行きましたよ。
今のインドの首都はデリーですが、このコルカタは、イギリスの植民地時代において、イギリスの植民地の首都にされていたそうです。
植民地時代はイギリスに好き勝手されて、例えばインドとパキスタンの今の宗教対立も、イギリスが作り出した意図的なものですからね。そういった拠点になった地域でもあります。
そしてインドがイギリスに対して大反乱を起こしたシパーヒーの反乱の舞台にもなりました。
また、聖なるガンジス川もそばに通っており、ヒンドゥー教の盛んな地域だそうです。
そういう歴史を持つところに行って、ボランティアしてきた時の振り返りです。
https://real-juku.jp/england-india-syokuminchi/
貧困の町コルカタ
いかに貧困かは写真で判断してください。
排気ガスと粉塵の混じった、アスファルトの熱気を帯びた空気。
そしてむせ返るような汚物に似た悪臭が、どこへ行っても漂います。

電車にドアがない!でも有識者によれば、戦後の風景もこれと似てるそうです。
駅のホームから線路に普通に降りるんですね。


激安日本人宿
日本人の20歳の男の子がオーナーしてました。当時の私と同い年です。
大学受験したけどすぐ辞めてインドに来たみたいなこと言ってました。
自由な生き方してるね〜

1600円も出せば、朝夜食事付きシャワーありの個室泊まれます。
半年ぐらい沈没してる日本人もいました。
日本人宿は旅行者同士の交流の場でもあります。
海外だと同じ国籍ってだけで安心感あります。
あと両替も正規の値段で対応してもらえます。
https://indiasantana.net/saki-002-nichijyo/
印象的なのは自称7ヶ国語喋れるというバックパッカーの日本人。
15年は日本に帰ってないって言ってました。
日本のパスポート切れたから、ギリシャで国籍取得したとかなんとか。
そこまでして日本に帰らないのはなぜでしょうね。
ネットの投せ銭で旅行してるそうです。
ちなみに食事はガンジス川で取れた魚を使ったカレーです。
マザーテレサの施設
https://www.cecj.net/program/india/streport.html

この二人に色々案内してもらいました。身長差!
オレンジの方がフランスから来た大学生。青い方がポルトガルから来た工学部の大学生。
フランスの人は大学を一年休学して旅してるんだと。
ポルトガルの人は長期休みを利用してきたと。

こんなかんじで、ホームレスたちが収容されています。
結核患者の隔離施設もありました。
やったことは、洗濯、掃除、食事介助、とかね。
朝ごはんはタダでもらえます。
バナナ、熱々チャイ、ビスケットとか
この施設にいるのはキリスト信者の白人ばかりだった。
欧米から来た人ばかりだったんですね。
ミサがあったのでなんとなく参加してみました。
↑のような儀式をしてました。
ミサの中で、司祭から白くて小さい煎餅みたいなのが配られます。
それはイエスキリストの最後の晩餐を表しているみたいで、ミサの途中で食べないといけないものなんだそうです。
そんなの知らなかったので、持ち帰ろうとしました。
すると、引き止められて、「食え!」って言われました。
数時間して、休憩室に戻ってからも、白人のキリスト教信者に、「あなた、ミサで食べなかったでしょ」みたいな説教され、(それもすごい形相で)
当時の私は「すんません」と言ってやり過ごしました。
敬虔なキリスト教信者の方ですね。
先進国特有の上から目線(私の感じた違和感)
私は、見知らぬ土地の文化には最大限の敬意を持って接しているつもりではありましたが、儀式の手順を間違えるのは西欧の人にとっては禁忌みたいですね。
日本人だって、例えば神社に落書きされたらそれは嫌ですけどね。私はそこまで激しいことをした覚えはないですが。
マザーテレサの施設は、インドの中に広がる西欧のキリスト教の世界でした。
キリスト教の教えでは、キリスト教徒以外は人ではないという価値観がかつてあったと聞きます。
白人のみなさん、とても良く接してくれました。
とはいえ、白人の人たちと関わる中で、
白人の自分たちはアジア人より優れているんだ。正しいんだ。みたいな白人さん特有の上から目線を感じなかったといえば嘘になります。
なので正直、 説教された時、
聞き齧った歴史を思い出し、
他人の国の文化は踏み躙ってきたくせに、みたいなこと思いました。
解釈なんていくらでもあるので、僕の感じたことは賛否両論あるでしょう。
ただ当時の僕はそう感じました。
マザーテレサは何が偉いのか?
支援という言葉には、どこか自分は安全だというニュアンスがあるわけです。
3日行った程度で、自分は支援したとか言いたくない。
支援したなんて、上から目線で気持ち悪い。
マザーテレサが偉いのは、その土地で一生を捧げたからでしょう。
結局は観光ですからね、僕がしたのは。
あとね、お金がないのに食事やちょっとした医療を行えるような仕組みを作った。
どうやって賄ってるんでしょうね。スポンサーがいるのかな。
支援についての考察
キリスト教の概念で「隣人を愛せよ」っていうのがあるんですよ。
僕のやったボランティアにおいて、愛ってなんなんすかね。浮浪者たちに向けるべき感情?
浮浪者に愛を持って接しろと?見ず知らずの臭くて何考えてるかわからない人を「愛せよ」って言われましても。
生理的に無理だと直感しました。残念ながら。だっていつ騙してくるかわからない人たちですよ!
これを続けるのは、「愛」というか「慈悲」の方が近いなと思いました。
日本人同士で、電車で隣になった人を愛しろとか無理ですよね。
嘘つかれるかわかんないし。
詐欺とかするやつは成敗されて然るべきと考えますので、日本人同士でも愛せないですわ。
じゃあ白人さんたちはどういう感情で動いてたんだろう。
たぶん、キリストに対する「愛」なんだと思います。
良いことするから、見返りにキリストに愛してもらうみたいな。
自分に利益があるから助けるんだって感じなのかなって思いました。
結論
キリスト教的な「愛」って「愛し合う」前提というか、リターンを求めてる感情ですよね。
「愛」は愛し合ってない人に向けたら、ストーカーってことになるじゃないですか。
例えば、片思いなんて良いことないでしょ。
B級恋愛ドラマぐらいでしか上手くいかないよあんなの。
余談ですけど、「愛」って言葉は明治に輸入された概念ですからね。日本人にとってまだ歴史が浅いんです。
「I love you」の概念がなかったから、夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言い換えたというのは有名な話です。
僕が感じた違和感は、もう一つそこかなと。
じゃあ、どう表現したらいいか。
「愛」ではないから「慈悲」だなって思うと、スッキリしました。
「慈悲」はリターンないですもん。
キリスト信者ではないので、支援という行為の間にキリストを挟む必要がないんです。
見返りのない行為なので、「慈悲」
価値観の違いですね。
やっぱり国柄が違うと考え方も根本が違うよなってのを認識しました。
私の主張
日本は明治以降、西欧の価値観を取り入れて日本の価値観と融和させてきたと聞きます。
特に戦後はこれまでの日本の価値観の否定から入り、グローバルの名の下に、極端に日本らしい考えを排除して西欧化してきたといいます。
しかし彼ら(白人たち)との価値観の違いを改めて感じると、
何もかも西欧らしくする必要はないんだと思いました。
価値観の違いはあるもの。
合わせる必要はない。
知るだけでいい。
マスコミは偏向報道やめろーー日本を謝罪大国にするなーー
変な教育するなーー
(ほぼ眠りながら書いているので論点がずれまくっております)


コメント
コメント待ってます!